町丁名由来看板 Place name origin sign

神田神保町一丁目(Kanda-Jimbocho 1-chome)

神田神保町一丁目(かんだじんぼうちょういっちょうめ)

 江戸時代、この界隈(かいわい)には武家屋敷が立ち並んでいました。そこに表神保町(おもてじんぼうちょう)、裏神保町(うらじんぼうちょう)などの町が誕生したのは、明治五年(1872)のことです。裏神保町は、大正十一年(1922)に通神保町(とおりじんぼうちょう)と改称したのち、表神保町、表猿楽町(おもてさるがくちょう)などとともに、昭和九年(1934)、神保町一丁目(じんぼうちょういっちょうめ)となりました。さらに昭和二十三年(1948)、神田区と麹町区が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。

 町名の由来は、元禄年間(1688~1704)のころ、旗本(はたもと)の神保長治(じんぼうながはる)が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路(じんぼうこうじ)」と呼ばれるようになったためといわれています。

Kanda-Jimbocho 1-chome

In the Edo Period, many samurai residences lined this area. The name Jimbocho comes from a high-ranking samurai, Nagaharu Jimbo, who lived in the area. He first gave his name to an alley running in front of his residence, and this later became the name of the town.


わが街、神田神保町

作家・逢坂 剛

 神保町(じんぼうちょう)という町名の由来が、江戸時代の旗本(はたもと)神保家の屋敷からきたことは、すでによく知られている。

 試みに、江戸城下の変遷絵図集『御府内沿革図書(ごふないえんかくずしょ)』を開くと、早くも十七世紀後半〈延宝(えんぽう)年間〉の図上に、〈神保新右衛門(じんぼうしんえもん)〉の名前が見つかる。屋敷の場所は、今の白山通り(はくさんどおり)からさくら通りにはいった左側、有斐閣(ゆうひかく)ビルのあたりになる。神保家の名は、幕末の切絵図にも出てくるから、江戸時代を通じてずっとこの地に、屋敷があったことが分かる。

 神保家ほどではないが、わたしの神保町の付き合いも、きわめて長い。小学生のころから数えれば、およそ半世紀にも及ぶ。高校生のころまで、本を探しによく足を運んだものだし、かよった大学は神田駿河台(かんだするがだい)、就職した広告会社は神田錦町(かんだにしきちょう)と、いずれも神保町と目と鼻の先の距離にあった。あまりに長い付き合いなので、ついそのよさを忘れてしまいがちだが、かりにわたしが東京から他の土地に移住して、神保町を離れることになったらと考えると、冷や汗を禁じえない。この街に対する愛着は、いわば自分の家や書斎を大切にする気持ちと、よく似ている。

 神保町は〈本の街〉といわれ、大型新刊書店や大小無数の古書店がひしめいて、独特の雰囲気を醸し出す。しかし、神保町の魅力は本だけにとどまらない。この街は〈食〉に関しても、並々ならぬ文化を持っている。中華をはじめ、イタリア、ブラジル、インド等の各国料理、さらに寿司、うなぎ、ラーメン、蕎麦(そば)となんでもあり、飲み食いにはいっさい困らない。戦前、戦後の歴史とともに歩んできた多くの老舗(しにせ)は、再開発で景観が一変した今も、なお健在である。

 そうした新旧すべてを引っくるめて、〈神保町文化〉と呼ぶことに異論のある人はいない、とわたしは信じている。

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