町丁名由来看板 Place name origin sign

一ツ橋二丁目・神田神保町二丁目(Hitotsubashi 2-chome/Kanda-Jimbocho 2-chome)

一ツ橋二丁目・神田神保町二丁目(ひとつばしにちょうめ・かんだじんぼうちょうにちょうめ)

作家 紀田 順一郎

神田神保町二丁目(かんだじんぼうちょうにちょうめ)は、一丁目(いっちょうめ)とともに世界に誇る古書店街(こしょてんがい)として知られていますが、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいました。町名の由来は、元禄(1688~1704)ごろ、現在のさくら通り〈救世軍(きゅうせいぐん)本部の横〉あたりに神保長治(じんぼうながはる)という旗本が広大な屋敷をかまえ、付近に神保小路(じんぼうこうじ)という通称が生まれたことからです。一ツ橋(ひとつばし)はさらに古く、徳川家康が江戸入府のころ、日本橋川(現在の外堀)に架けられた橋の名称に由来するものです。

 明治五年(1872)の市区改正で、この地区は南・北神保町(みなみ・きたじんぼうちょう)と呼ばれるようになりました。そのころはまだ人口の少ない場所でしたが、付近の一ツ橋地区に開成学校(かいせいがっこう)をはじめ、東京大学、東京英語学校などが連なる文教地区として発展したため、神保町一帯には多くの書店が軒を並べるようになりました。明治後期には隣接の町内を含めて数十軒の古書店が生まれ、大正の初期には周辺の学校は七十以上を数え、新刊書店や出版社も増加しました。昭和戦前にかけては、喫茶店や映画館も含む学生街として大いに繁盛(はんじょう)したものです。

 第二次大戦中、神保町と一ツ橋地区はともにアメリカ軍の空襲を免れました。神保町は昭和二十二年(1947)に神田神保町と改められ、その後も、隣り合う一丁目や三崎町(みさきちょう)、小川町(おがわまち)なども含む古書店街として発展を続けてきました。一ツ橋一帯は企業が集中し、昭和四十一年(1966)には竹橋や神保町など、地下鉄の各駅も誕生して交通至便となり、近年は海外から訪れる人も増えています。

 私は半世紀以上も前、高校生時代に初めて一ツ橋の共立講堂を訪れて以来、この地区全体の文化の香りに引かれ、とくに書物文化の奥深さに強く魅せられるようになりました。以後も週に一度ぐらいは必ず訪れていますが、その間にめずらしい本、貴重な資料を見つけた経験も数多く、古書店の主人から書物のことを教えられたこともあります。手に入れたばかりの本を近くの喫茶店で開くのを、いまでも最大の楽しみとしています。伝統ある二つの町のたたずまいは、東京の中心部にふさわしい品位を備えているようです。

Hitotsubashi 2-chome/Kanda-Jimbocho 2-chome

Jimbocho received its name from a well-known samurai who lived in area, and Hitotsubashi is named after a bridge that once spanned the Nihonbashi River. Today, the area, along with Jimbocho 1-chome, is world famous as center of antiquarian book seller.

神町会


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