町丁名由来看板 Place name origin sign

美土代町(みとしろちょう)【Mitoshirocho】

江戸時代、この地域一帯には、身分の高い武士たちの屋敷が立ち並んでいました。とくに元禄(げんろく)年間(1688年~1704年)には、五代将軍徳川綱吉(つなよし)の側近として活躍した柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が屋敷を構えていました。そのほか、老中(ろうじゅう)や若年寄(わかどしより)を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていたこともはっきりしています。

一方、この界隈(かいわい)には武家屋敷だけでなく、商人や職人が住む町屋もありました。なかには、商売上手なアイデアマンも少なくなかったようで、湯女(ゆな)を置くことで大繁盛した「丹前風呂(たんぜんぶろ)」が始まったのも、この周辺からだったのです。江戸時代の美土代町(みとしろちょう)周辺は重要な武家屋敷地であると同時に、新たな風俗・流行を生み出すこともできる、懐(ふところ)の深い町だったといえるでしょう。

そんな町に美土代という名がついたのは明治五年(1872年)のことです。かつて、この周辺に伊勢神宮(いせじんぐう)にささげるための稲(初穂(はつほ))を育てる水田「みとしろ」があった故事(こじ)にちなんで生まれた名前でした。ちなみに、神田(かんだ)という名前も同じ故事に従ってつけられたとされています。

明治期の美土代町は、一丁目~四丁目まである広大な町域をもっていましたが、時代が下るにしたがって、その範囲を縮小していきます。現在の千代田区神田美土代町が誕生したのは昭和二十二年(1947年)のことでした。

Mitoshirocho

During the Edo Period, this neighborhood was home to many high-ranking samurai. The name, which was given in 1872, came from the fact that in the nearby area was a rice paddy(mitoshiro). The first ears of rice grown here every year were offered to the Ise Shrine. Actually, it is said that name for the Kanda(”god’s paddy”)area itself came from the same origin.

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