町丁名由来看板 Place name origin sign

岩本町一丁目(Iwamotocho 1-chome)

岩本町一丁目(いわもとちょういっちょうめ)は、かつて東福田町(ひがしふくだちょう)、材木町(ざいもくちょう)、東今川町(ひがしいまがわちょう)、亀井町(かめいちょう)の四つの町に分かれていました。

古地図にある川筋は、明暦(めいれき)の大火(たいか)の翌年、万治(まんじ)元年(1658年)に造られたものです。このうち竜閑橋(りゅうかんばし)より甚兵衛橋(じんべいばし)の先、堀が南へ曲がるところまでの土手を「八丁堤(はっちょうつつみ)」、掘割は「神田八丁堀(かんだはっちょうぼり)」と呼ばれ、下町の防災の拠点になっていました。

この掘割は、以後何度か埋め立てや開削が繰り返されましたが、明治十六年(1883年)、新たに堀を開き、「竜閑川(りゅうかんがわ)」と呼ばれるようになりました。

明治元年(1868年)、それまで細分されていた町が、「東福田町」「材木町」「東今川町」の三町に区割りされ、昭和の初期に日本橋区より「亀井町」の一部が編入されて四町となり、現在の町の形が整いました。亀井町はその後、昭和二十二年(1947年)に材木町に編入されました。

東福田町 むかし、この近在を「福田村(ふくだむら)」と称し、当地はその東方に位置していた。安政(あんせい)四年(1857)に土手を崩して堀を埋め、その跡地を開いて町とした。

材木町 川筋に面して船で運ばれた材木などを荷揚げする場所があり、多くの材木店が軒(のき)を連ねていた。

東今川町 川に架(か)かる橋の一つ「今川橋(いまがわばし)」の東にある町であった。橋の名は、天和(てんな)の頃(1681~1684)の名主(なぬし)「今川善右衛門(いまがわぜんえもん)」に由来するといわれる。

亀井町 寺社地(じしゃち)であったところが、町屋(まちや)に変わるとき、それを祝して名づけられた。町名はこの町を開いた亀井某の名によるともいわれている。

などが伝えられています。

これらの町は昭和四十年(1965年)七月一日の住居表示の実施により、合併して現在の「岩本町一丁目」になりました。「竜閑川」は終戦後に三度(みたび)埋められて現在に至りますが、江戸の頃より変わらないのは、この川筋を神田と日本橋の境界としていたことです。現在は千代田区と中央区の区境となっています。

Iwamotocho 1-chome

This neighborhood was once composed of four towns, which in 1965 were finally united into one. The area was once located along a canal, which was built in 1658 following a major fire, and eventually became known as the Ryukan River. The canal was filled in for the third time after the end of the Second World War, but has remained as the boundary between Kanda and Nihonbashi since the Edo Period. Today it is on the border between Chiyoda and Chuo Wards.

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